個性豊かな女給たちの人生が交差する──『カフェーの帰り道』感想

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第174回直木賞受賞作『カフェーの帰り道』を読んだ。

カフェーの帰り道/嶋津輝


始まりは関東大震災から2年ほど後。東京・上野に「カフェー西行」という少し寂れたお店があった。

カフェーで働くのは女給たち。現代を生きるわたしにとって、「女給」という職業は馴染みがない。最初は今で言うホールスタッフかと思ったが、給仕だけでなく客の話し相手なんかもするようだ。

「カフェー」にもいろいろあって、西行はコーヒーだけでなく食事やお酒も提供している。客は女給たちとのおしゃべりを楽しみ、チップをはずむこともある。女給は人気商売なのだ。

多くのカフェーでは女給は若い女性に限るようで、西行でも求人を出す際は「19歳」と条件を記している。

しかし西行はちょっと変わったカフェーで、オーナー兼シェフの菊田はどんな女性が働きたいとやってきても受け入れてしまう。とても19歳に見えなくても、出戻りだとしても。

だからなのか、西行に集う女給たちは個性豊かだ。

竹久夢二の美人画のようなタイ子、嘘つきだが根は優しい美登里、小説家を目指すセイ、不思議な中年女性の園子。

大正から昭和にかけて女給として働いた彼女たちの人生を描いた作品、それが『カフェーの帰り道』である。


若い時代にしかできない女給という職業を描きながら、本作は彼女たちのその後にもしっかり焦点を当てている。

西行で働き、ほどなくして去っていく彼女たち。スカウトされたり、夢をあきらめたり、その理由はさまざまだ。

女給という華やかな仕事を辞めた後も人生は続く。戦争も、生活に暗い影を落とす。

それでも強く生きる彼女たちの姿を、読者であるわたしは尊いと感じる。そして、明日も歩いていこうと思うのだ。


西行で働く美登里が、自分が女給という仕事を続ける理由についてこう気づく場面がある。

人に見られたいという気持ちが、自分にもたしかにある。見られることで、自分という存在を、誰かに知ってもらいたかったのだ。

これにわたしは激しく共感した。

心身の不調があるわたしは長く療養しているのだが、すると社会と自分の断絶をひしひしと感じる。誰からも観測されないのは、存在していないと同義だとすら思う。

外に出て働く、というのはお金を得るためだけの行為ではないのだ。

だから、美登里が女給という仕事に無意識にそんな意義を見出していたのは自然なことだと思う。

自分の極めて個人的だと思っていた悩みが、100年前の女性を描いた小説で共有されていたこと。その不思議を少しおかしく感じ、気持ちがすっと軽くなった。


カフェー西行で働いた、というただ一点しか繋がりのない女給たち。みなそれぞれの人生があって、境遇も悩みもちがう。

そんな彼女たちの歩みを見届けられて、読後はあたたかな気持ちになった。

カフェーの帰り道/嶋津輝

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